学期末が来ると今でも思いだす。
休みへの期待、決まってお小言が書かれた通知表、持って帰るたくさんの荷物。
それともうひとつ。
学期末の最後の給食に出る、楽しみな楽しみなアレ。
私の育った菖蒲町(現久喜市)では学期末の最後の給食に必ず出たものがあります。
それがこの「カステラサンドパン」です。
1年に3回だけ食べられるこのカステラサンドパン、私を含めて当時の子供達がどんなに楽しみにしていたことか!
これは菖蒲にある新井製パンで作られています。
新井製パンはずっと学校給食用のパンを作り続けています。
逆に言うと市販されているわけではないので、このカステラサンドパンを買うことは出来ませんでした。
当然、学校を卒業してしまうともうカステラサンドパンを食べることは出来ず、ずっと思い出の食べ物ままとなっておりました。
それが今年、久喜市菖蒲町小林にある「南彩農協農産物直売所」を訪れたときにカステラサンドパンを売っているのを発見!
これを見つけたときは神の存在を確信したね。
カステラサンドパンはその名のとおり、カステラをパンでサンドした菓子パンです。
パン-チョコ-カステラ-いちごジャム-パンという構成となっています。
袋も給食の時のまま、嬉しいね。
一口食べれば心は一瞬であの頃に。
そうそう、これだよこれ!
もうね、思わずウルウルしちゃいましたよ。
またこのカステラサンドパンを食べられるなんて!
どんなにおいしい食べ物だって、思い出にはかなわない。
おそらく誰にでもこういう食べ物ってあると思います。
なお、カステラサンドパンの起源はというと、
古代中国において拳法の達人であった香素寺(かすてら)の讃 怒潘(さん どはん 1208生-1270没)は、苦しい修行に耐えられずに辞めていってしまう弟子たちが多いことに対し、味と栄養のバランスが良い食べ物を食べさせて頑張らせようとした。
そこで現地の主食であった小麦粉を発酵させて焼いたものに甘い蜜をはさんだ物を作り、これを食べた弟子たちは絶賛して修行に励んだという。
その食べ物は発明者の名前をとって「かすてら・さんどはん」と呼ばれるようになり、香素寺の名物となった。
現在でもこの「かすてら・さんどはん」を食べたいがために香素寺の門をたたく拳法の修行者が後を絶たないという。
民明書房刊『香素寺・その光と影』より
ということです。
多分、本当。
だって雷電が言ってたもん。
これを発見して以来、菖蒲に買えるときには必ず南彩農協農産物直売所に寄るようにしています。
しかし、毎日必ず売っているわけではないようです。
見つけたときは必ずゲットすべし!
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コメント
新パンのとこは3兄弟みんな新パンって呼ばれてたような気がしますが、僕は昭和44年生まれです(´ー`)
っていうか、男塾とか角ふじとか焼肉食べ放題でもご飯とか異常なまでに親近感を覚えますよ。
僕らが子供の頃とかほんとに何も無かったですよねー、菖蒲。
ヒデさま
ということは新パンの次男や私の兄と同級生ですね。
私は末っ子と同級生でした。
菖蒲はモラージュ周辺は別の街になってますよ。
「あの何もなかった菖蒲が・・・」と驚いちゃいました。
新パンて響き懐かしい〜私も同級生給食のパンがおいしかったです
みーこさま
懐かしいですよね。
菖蒲に帰るたびに農協のパン売り場を覗きますよ。
こんばんは!
カステラサンドで検索していて偶然辿り着きました。
現在県外に在住ですが高校まで菖蒲町で育ったものです。
小学校に通っていた30年前、まさにこのカステラサンドパンが僕の夢の給食メニューでした。懐かしくて鼻水出そうです。
実はこの新井製パンの息子さんとはクラスメートでした。いまでも続いてるなら嬉しい限りです。
あちこちのメーカーから似たようなものが時々出てますがズバリこれが無いんですよね。
今度実家に里帰りしたときには立ち寄ってみますね(´ー`)ノ
ヒデさま
カステラサンドパンは我々の青春ですよね。
新パンとクラスメートってことは私とも同級生かもしれませんね。
今では久喜市となってしまいましたが、菖蒲に帰ったら寄ってみて下さい。
あの時の味が蘇りますよ。